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野村沙知代 今現在突然の死去にノムさん大丈夫の声・・浅香光代さんとのサッチーミッチー騒動など個性的なキャラクターだった

また1人、昭和の名物母さんがこの世を去った。プロ野球の名監督の野村克也さんの妻でタレントとしても活動していた野村沙知代さんが亡くなった事が8日わかったという。

ネット状では今現在、野村沙知代さんへの追悼の声が多く上がっている。さらにノムさんは大丈夫なのかと心配の声が上がっている。

一時期はテレビでの引っ張りだこの人気者だった野村沙知代さん。あらためてその波乱に満ちた人生を振り返ってみたい。

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野村沙知代さんの波乱にみちた人生

まずは野村沙知代さんのプロフィールからご紹介する
【氏名】野村沙知代
【読み方】のむら・さちよ
【生年月日】1932年(昭7)3月26日
【年齢】82歳
【出身】福島県

 野村沙知代さんは1972年にプロ野球の南海の野村克也さんと結婚。

このころから球場に顔を出すようになり、次第にチームの作戦にも口を出すようになるなど、昔で言うところの跳ねっ返り娘だったようだ。

1996年には新進党から衆院選に立候補するも落選、

その後は少年野球の監督や写真集発売など常に話題の人だった。

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野村沙知代さんの波乱万丈の人生を振り返る

野村沙知代さんは1932年3月26日に福島県に生まれる。出生名は伊東 芳枝(いとう よしえ)だった。

その後、東京都荒川区に引っ越し父は都バスの運転手として一家を支えていた。

しかし、サッチー本人は「東京の田園調布出身で、皇族の出である」「伊藤博文の家系」と自称していたが、弟がこれを完全否定している。

野村沙知代さんは進学を断念して電電公社に就職する。
ミスコンに伊東芳枝名義で出場し、「ミス白河」に抜擢され優勝するなどしていた。

そして、東京に舞い戻って生活をしていた。

1957年にはアメリカ人将校との間に二人の子供を作る。

これが息子・ダン (後の野村克晃)、翌々年にはケニー (同・野村克彦)として、現在も野球の代理人として活躍している人物だ。

ここから、さらに波乱万丈の人生が加速度的に動き出す

ノムさんと運命的な出会い

1970年にプロ野球の選手件監督として活躍しいたノムさんこと野村監督は遠征先の原宿のホテルに宿泊していた。
行きつけの高級中華料理店で野村沙知代さんと偶然相席になった事をきっかけに意気投合。

当時、ノムさんも野村沙知代さんも奥さんと旦那がそれぞれおり、ダブル不倫だった。
1973年には二人の間に野村克則が誕生している。

ただ、このころからサッチーはノムさんの現場に口をだすことでノムさんは結果として退団に追い込まれることになる。

「女を選ぶか野球を選べ」と言われて「そんじゃあサッチーを選びます」といって退団したのは有名な話だ。

その後は、ミッチーサッチー騒動や脱税事件、さらに息子との確執など常に波乱万丈の人生だった。

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