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直撃!シンソウ坂上

大峯泰廣(おおみねやすひろ)刑事と土谷正実・・警視庁のエース刑事と天才信者との緊迫の取り調べがドラマ!

大峯泰廣(おおみねやすひろ)刑事と土谷正実・・。

昭和から平成にかけて、日本の凶悪事件捜査を手がけて捜査一課のエースとして君臨した出説の刑事が大峯泰広刑事。

大峯泰廣刑事は、オウム真理教の土谷正実の取り調べ、さらにロス疑惑、トリカブト保険金目的殺人事件、そして宮崎勤・元死刑囚による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件など、昭和の犯罪史に残る数々の事件を担当してきた“伝説の刑事”と呼ばれる男。

 

とくに、警察の取り調べに「能面のよう」と言わしめたほど、感情を一切表に出さかなかった土谷正実の取り調べは伝説となっています。

はたして、大峯泰廣刑事はどのようにして土谷正実から供述を引き出したのでしょうか。
オウム真理教事件は、警察の捜査がもっと早く行われていたら、ここまで大規模なテロは行われなかったと言われています。

それだに、大峯泰廣刑事など現場の第一線で捜査をしていた現場の刑事たちは想像を悔悟する思いがあったと言われています。

平成最悪のテロ事件・オウム真理教の地下鉄サリン事件

激動の昭和の時代から平和の時代となるはずだった平成。

その平和な日本で予想もしなかった同時多発テロが発生しました。

国家転覆を狙った麻原彰晃こと松本智津夫を中心としたカルト教団が起こした日本史上最悪の犯罪テロ。
簡単に麻原彰晃こと松本智津夫とオウム真理教が起こした事件を振り返ってみたいと思います。

強制捜査への妨害を狙ったと言われる同時多発テロ

化学兵器が何の罪もない一般市民に使用された事件。

オウム真理教は今なお、世界の専門家がオウム真理教事件の詳細を調査しています。

なぜ、世界中のテロ専門家が未だにオウム真理教のテロ事件を調査し続けるのか。
それは「オウム真理教がどうしてサリン開発に成功し、テロを引き起こしたのか。」この解明が次なる組織がテロを繰り返さないためにも多くのテロ専門家が死刑が確定した幹部に面会を繰り返しながら解明をススメていました。

そして、松本サリン事件と地下鉄サリン事件というテロ犯罪を引き起こすまでになったのか。

1995年(平成7年)3月20日

地下鉄サリン事件は1995年3月20日。

地下鉄千代田線にオウム真理教の信者で医師の林郁夫受刑者が乗り込んでいました。

手に持っていたのは新聞紙に来るんだサリン。
そして、先を鋭利に尖らせた傘・・。

地下鉄サリン事件の実行犯に選ばれたのは5人に信者だった。

横山真人
広瀬健一
豊田亨
林郁夫
林泰男

医師や科学者などのいわゆる「エリート」と呼ばれる人物ばかりだった。

日本の中枢・霞が関をねって5つの地下鉄に乗車。

霞が関を中心にサリンを使う計画だった。

サリンが入った袋は、それぞれ違う種類の新聞紙にくるんでいました。

千代田線(我孫子発代々木上原行)
丸ノ内線(池袋発荻窪行)
丸ノ内線(荻窪発池袋行)
日比谷線(中目黒発東武動物公園行)
日比谷線(北千住発中目黒行)

床に置いたサリンを傘で突き刺し、猛毒のサリンを気化させて乗客を無差別に狙った犯行。

一般には知的レベルの高いはずの医師や科学者などのエリートがどうして、このようなテロ犯罪に手を染めたのか。

それが麻原彰晃こと松本智津夫の教えだった。

「救済のためなら人を殺めてもかまわない」
荒唐無稽なこの教えを信者は思考停止状態で遂行していった。

事件から5年前・・熊本に進出していたオウム真理教

地下鉄サリン事件が起こる5年前。

オウム真理教は熊本県に教団武装化の拠点を作ろうとしていました。

熊本県旧波野村に15ヘクタールの土地を取得して500人以上の信者を送り込んでいました。

表向きには病院や学校などを併設した教団の理想郷の建設を謳ったものだった。

しかし、熊本旧波野村で行われていたのは、風船爆弾などの事件墓装置などを開発していたのです。

警察も、これらの動きを察知していたものの「宗教団体の認可」を受けていたために捜査はは慎重にならざるを得なかったのです。
さらに夫が熊本県警に務める女性信者からも「強制捜査」の情報が漏洩。

強制捜査が延期になるわずか一週間の間に武装化の証拠を徹底的に消し去っていたのだ。
1990年10月22日。施設22箇所を捜査するも武装化に警察が気がつくことはできなかった。

そして、麻原彰晃は山梨県の旧上九一色村に大規模な教団施設を作った。

麻原彰晃とオウム真理教は70億人を超える致死量となるサリン70トンの製造を目指したのです。

その中で、教団は別のとんでもない事件を引き起こしていたのです。

坂本弁護士一家誘拐事件

坂本弁護士は1989年ごろからオウム真理教に出家した信者の家族から相談をうけ、オウム真理教と交渉するようになっていました。

麻原彰晃は坂本弁護士が警察に事情を話し、教団を捜査させようとしているとして同年10月、抗議をするよう、教団幹部らに指示した。

しかし、坂本弁護士の事務所でのオウム真理教と坂本弁護士との話し合いは平行線に。

さらに、坂本弁護士はオウム真理教に対して法的処置を検討していることを聞いた麻原は、「いずれ教団にとって脅威となる」として殺害を指示した。

捜査にあたった神奈川県警はオウム真理教のバッチ「プルシャ」が現場に落ちていることや「上九一色村に拉致監禁されているのでは」との情報がありながらもオウム真理教の強制捜査に踏み切れなかった。

地下鉄サリン事件1年1ヶ月前

数々の事件を引き起こしながら、オウム真理教は上九一色村の第七サティアンでサリン開発に成功してしまった。

麻原彰晃は、弟子たちが煩悩に少しずつ打ち勝っているとして上機嫌だったという。

そしてついに事件が起こる。

1994年6月27日松本サリン事件

そして、ついに松本サリン事件が発生する。

サリンを噴霧する特殊な車も開発に成功。

標的はオウム真理教の裁判を担当していた裁判官官舎だった。

死者8人
負傷者150人以上

被害者の方々はここでは表現できないほどの精神的・肉体的錯乱状態で亡くなっていった死者の痛ましい姿は警察でさえもたじろぐほどの現場だったと言われています。

長野県警は、松本サリン事件で第一通報者で被害者のKさんを容疑者として固執したために捜査は難航。マスコミも無責任な報道に拍車がかかり捜査は完全に方向性を誤ってしまいます。

一方で、秘密裏に長野県警は「オウム真理教」に完全に絞った捜査を極秘にすすめていました。
極秘捜査チームはサリンの原料となる薬品の入手ルートからオウム真理教が浮上していたのだ。

サリンの原料を個人でしかも「大量の現金で購入」していたのだ。

その男の元を捜査すると、そこはオウム真理教の施設だった。

さらに、オウム真理教の信者が持つ会社がサリンの原料を購入、それが上九一色村に運ばれていることも捜査で掴んでいたのです。

それでも警察はオウムの強制捜査に踏み切れなかった

警察は、熊本、上九一色村、松本サリン事件、神奈川県の坂本弁護士事件など、数々の事件を抱えながらも宗教法人の認定を受けた団体であるオウム真理教に強制捜査で物証を掴むことができなかった。

 

そしてリムジン謀議へ

検察によると、1995年3月18日、東京都杉並区高円寺にあった教団が経営する飲食店からの帰途のリムジン内で、想定されたオウム真理教に対する警察の強制捜査を阻止するために、地下鉄にサリンを撒くことが決まったとされている。

しかし、諜報機関トップの井上は、これを否定するなど、現在もリムジン謀議は謎が多いとされている。

オウム真理教の天才信者土谷正実と警視庁のエース刑事だった大峯泰廣(おおみねやすひろ)刑事

オウム真理教の強制捜査が迫る中で、起こった地下鉄サリン事件。

警察はもう一歩のところまでオウム真理教を追い詰めていたものの、いずれも宗教法人であることや宗教弾圧などに配慮、さらに信者からの情報漏えいなどで逮捕までに至っていな事件がほとんど。

そんな警察の悔しい思いの中でオウム真理教事件に1人の警察のエース刑事が天才信者と言われた男の取り調べに望むことになった。

大峯泰廣

大峯泰廣さん

名前:大峯泰廣
かな:おおみねやすひろ
当時の役職:捜査1課4係係長

 

大峯泰廣刑事は、当時井の井の頭公園で発生した事件の捜査にあたっていた。

 

しかし、午前9時前に「全員招集」がかけられた。

警視庁に向かうと霞が関駅周辺は大混乱。

サリンが使われたとわかった瞬間に大峯泰廣刑事はオウム真理教が犯人ではという話にすでになっていたといいます。

実は、警察は地下鉄サリン事件が起こる一週間前の日曜日にある特殊な訓練を行っていた。

捜査1課200人全員が自衛隊の朝霞駐屯地に集められ、ガスマスクの脱着訓練を極秘で行った。なぜ、こんな訓練をするのか、私はよくわからなかったが、寺尾正大捜査1課長(当時)ら幹部はオウムの捜索をすると決め、オウムがサリンをまき、反撃してくる時に備えた。

しかし、またしても操作情報が漏洩し、オウムが先手を打つ形で地下鉄サリン事件が発生した。

そして、対峙したのが、サリンを作った男、土谷正実だったのです。

能面のようだった土谷正実を取り調べた大峯泰廣刑事

土谷正実はオウム真理教の中でも、麻原彰晃への依存度・マインド・コントロールが高かった人物と言われています。

一方で科学への情熱と高い頭脳はかなり高かった。

 

土谷正実は高校生までは体格に恵まれラグビー部で活躍。

性格も明るく同級生にも後輩にも慕われる人間だった。

成績は良くなかったが、化学に興味を持ち始めると、勉強に一気にのめり込んであっという間に学年トップの成績を取るまでになる。

途中で人間の頭脳がほとんど、その機能を使われることなく終わっていくという現実をしり、ヨガと絡めたアプローチなどを考えるようになる。

 

次第に、ヨガそのものを極めたいと思ったものの、現実的な路線をとって筑波大学に入学していく。

大学時代に車の事故の治療過程でヨガ教室に通うなどしている間にオウムが運営するヨガ教室に通うようになる。

 

通常であれば、ここで入信まではいかないのだが、土谷正実はオウムが教えるヨガで悩まされていたヘルニアが完治してしまう。

 

さらに、本人は数々の神秘体験と麻原彰晃の教義に惹かれて入信。

 

麻原彰晃は、土谷正実を使ってサリン製造に加担させるために、土谷正実を特別扱いしていた。

 

逮捕後も、土谷正実は麻原彰晃をかばい続けていた。

村井と井上が起こしたことで麻原彰晃は関係ないとかばい続けたのだ。

 

その、マインド・コントロールが深かった天才信者の土谷正実を取り調べたのが大峯泰廣さんだった。

 

大峯泰廣刑事はロス疑惑やトリカブト保険金事件、宮崎勤の事件など昭和から平成にかけての大事件の捜査を担当してた。

数々の凶悪犯罪者と対峙してきた警視庁のエース刑事。

アエラにて、その土谷正実の取り調べの様子を大峯泰廣はこうこう答えています。

〈同年4月26日、サリン製造責任者だった土谷、遠藤らが上九一色村のオウム施設地下室に隠れていたところを逮捕。大峯氏は築地署特捜本部で土谷の取り調べを担当した〉

築地署に毎日、泊まり込み、土谷とは朝10時から夜中まで20日間、2階取調室で向かいあった。「おはよう」「お茶飲むか」などと話しかけても無言。微動だにしない。1週間ぐらいはずっと完全黙秘だった。当時、麻原はまだ逮捕されておらず、彼は麻原を“尊師”と呼び、教団を守ろうとしていた。

私は「麻原と組織を守りたいなら、君がしゃべらなければ、守れないよ。麻原ではなく、君がサリンを作ったんだろう? 君がしゃべらないと麻原を守れないよ」と話しかけたが、落ちない。落ちたのは、私が土谷の両親について話したことがきっかけだった。

〈土谷はオウムに傾倒していた91年7月、両親に連れられ、強制的に茨城県出島村(現かすみがうら市)の「佛祥院」に預けられた。両親はこの施設で必死になって息子を説得したが、その途中でオウムの街宣車が施設を取り囲み、「尊師が呼んでるぞ」「監禁するな」などと呼びかけた。すると、土谷は両親の元から逃げ出し、出家し、化学兵器製造にのめり込んでいった〉
この出来事を振り返って、私が「(施設に両親が土谷を連れていったことは)君のためにならなかったね」と語りかけると、土谷は自分の気持ちをわかってくれ、同情してくれていると思ったのか、気持ちがほぐれた様子で、受け答えをするようになった。