伝説の刑事として数々の難事件に捜査に従事した大峯泰広(おおみねやすひろ)刑事とオウム真理教の天才信者・土谷正実の迫真の戦い。
大峯泰広元刑事はロス疑惑、トリカブト保険金目的殺人事件、宮崎勤・元死刑囚による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件など、昭和の犯罪史に残る数々の事件を担当してきた伝説の刑事。
「直撃!シンソウ坂上SP 独占スクープ!サリン事件極秘資料 -オウム“天才”信者VS伝説の刑事-」としてドラマ化されます。
果たして、伝説の刑事大峯泰広さんとはどのような刑事なのか。また、安倍政権の暴走により、国際社会から大きな非難を浴びた同時多発死刑執行など真相究明の道が途絶えたオウム真理教事件の執念の捜査を振り返ってみたいと思います。
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大峯泰広「伝説の刑事と天才信者土谷正実」をシンソウ坂上SPでドラマ化
日本の戦後の犯罪史の中でもとにかく異質なオウム真理教の松本・地下鉄サリン事件。
日本で発生した組織的なテロ事件としては類を見ない甚大な被害を出してしまった事件。
シンソウ坂上スペシャルでは、その中でも、ロス疑惑、トリカブト保険金目的殺人事件、宮崎勤・元死刑囚による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件など、昭和の犯罪史に残る数々の事件を担当してきた伝説の刑事「大峯泰広」さんと、オウム真理教の天才信者と言われた土谷正実の攻防を再現ドラマ化。
天才信者と伝説の刑事の二人の攻防を通して、オウム真理教の真相に迫ります。
オウム真理教が起こした事件
まずは、オウム真理教が起こしたとされる事件をまとめてみたいと思います。
麻原彰晃こと松本智津夫が主導し、信者が実行犯として日本国内で起こした事件は少なくとも15の事件への関与が疑われています。
そして、オウム真理教の15の事件のうち13の事件で起訴され裁判で有罪判決が確定しています。その代表的な事件だけでも枚挙にいとまがない。立件までに至らなかった事件を含めると相当数の事件が明るみになっています。
1989年2月10日 信徒殺人事件
団脱退の意思を有していた信徒(当時21歳)に対しての犯行。
犯行の指示・・麻原彰晃
実行犯・・岡崎一明,早川紀代秀,新實智光ら
1989年11月4日 弁護士一家殺人事件
犯行の指示・・麻原彰晃
実行犯・・岡崎一明,早川紀代秀,新實智光,中川智正及び端本悟ら
1994年1月30日 信徒による薬剤師殺人事件
犯行の指示・・麻原彰晃
実行犯・・井上嘉浩らと女性信徒の息子
1994年5月9日 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
犯行の指示・・麻原彰晃
実行犯・・遠藤誠一,中川智正ら
1994年6月27日 松本サリン事件
犯行の指示・・麻原彰晃
実行犯・・新實智光,遠藤誠一,中川智正ら
大峯泰広と土谷正実の緊迫の取り調べがドラマ化
数々の凶悪事件を連発したオウム真理教。
その中でも、数々の難事件の捜査で、巨悪犯罪者と対峙してきたのが伝説の刑事とされる大峯泰広さん。
大峯泰広さんは昭和から平成にかけて、ロス疑惑、トリカブト保険金目的殺人事件、宮崎勤・元死刑囚による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事など、数々の難事件・重大事件と対峙してきました。
大峯泰広氏は取り調べを担当した土谷正実元死刑囚=執行時(53)=とのやり取りを思い出す。完全黙秘を続けていた土谷元死刑囚に対し、あえて麻原元死刑囚を「尊師」と称しながら問い続け、自供を引き出した。それでも土谷元死刑囚は大峯氏と目を合わせようとせず、喜怒哀楽の感情を示すこともなかった。
大峯泰広氏は「事件を知らない者が、今だ後継団体に入信している。土谷元死刑囚の入信には思春期の悩みがあったが、悩みを解決する機関がない限り、オウムのような事件が繰り返される可能性がある」と語気を強めた。
大峯泰広さんが捜査したロス疑惑、トリカブト保険金目的殺人事件、宮崎勤の事件
大峯泰広さんは伝説の刑事として昭和から平成にかけての複数の凶悪事件・重大事件を担当してきた刑事。
一筋縄ではいかない凶悪かつ冷酷な犯人たちと対峙してきた。
ロス疑惑
ロス疑惑とは、1981年から1982年にかけて、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件に関して三浦和義にかけられた一連の疑惑。報道の過熱化や一事不再理の原則などの問題を投げかけた。
トリカブト保険金目的殺人事件
1986年(昭和61年)5月20日に発生した保険金殺人事件。
司法解剖を行った医師が被害者の血液などを保存していたため、その後の分析で殺人であることが発覚した事件。
わずか五年の間に3人の妻らが保険金目的で亡くなっていた事件
宮崎勤事件
(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。
地域新聞会社を経営する、裕福な一家の長男として生またが複数の猟奇的事件で逮捕。
メディアに犯行声明を出すなど、マスコミ連日に渡って放送していた。
オウムの天才信者と言われた土谷正実
大峯泰広刑事とオウム真理教の天才信者と言われた土谷正実。
二人には激しい取り調べ室の攻防がありました。
ここでは大峯泰広さんと土谷正実との取り調べの前に、土谷正実とオウム真理教との関係をまとめてみたいと思います。
土谷正実は東京都町田市出身。
家庭は比較的裕福な家庭で三人兄弟の長男として生まれた。
幼い頃から内向的でおとなしい正確だった土谷正実。
しかし、次第に性格も明るくなり中学時代はクラスの人気者だったと言われています。
高校生になると、ラグビー部で部活動に打ち込み、明るい性格で同級生や後輩からも慕われる存在だった。
学校の成績は良い方ではなかったもも、高校2年生のときに科学に興味をもってからというもの、その面白さにハマって学年でトップの成績を取るようになります。
一方で人の好き嫌いが激しく、相性の悪い教師になると、いきなり点数が0点付近にまで落ちてしまうという、得意な一面があった。
激しい性格と極端な行動・・そしてヨガへの傾倒
土谷正実は人間の脳細胞が数%しか使われていない事を知ると
「これは非効率だ」
このように考えるようになります。
なんとか、これを100%使い切りたいと考えていたときに、テレビでヨガの精神世界への興味が湧くこととなる。
ただ、実際にはヨガを極めるためには「ヒマラヤに行くしか無い」と考えていたものの、現実的でないとして、筑波大学に入学している。
大学でもラグビー部に所属してたものの、わずか二ヶ月で膝に大怪我を負ってラグビー部から退部することになってしまう。
この頃から、酒に逃げるようになり、高校時代から交際していた彼女との関係も悪化していく。
いきなり真夜中に彼女に電話をかけて繋がらないと、ありえないくらいに傷ついて、ゆかを転げ回って傷ついたという。
土谷正実とオウムの出会い
もともとヨガに興味などの精神世界に興味があった土谷正実。
そんな土谷正実がオウムとであったのは1989年に乗車していた車で事故にあって首をむち打ちのような症状を患ってしまった。
医師のススメもあって水戸市内のヨガ教室に通い始める。
そのタイミングで、友人からヨガ教室のススメもあって麻原彰晃の説法会に参加した。
この時、遅刻してきたために麻原彰晃の説法は聞かずに済んだものの、科学に詳しい村井秀夫に興味を持った土谷正実は、後日世田谷の道場でヨガ教室に認識でオウムに入信してしまう。
オウムに入信すると、ヘルニアが完治や本人からすると「神秘体験」を経験し、そのまま入信してしまう。