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中村通(ゴルフ)の成績や画像!関西四天王がひき逃げで逮捕に衝撃が走る

関西四天王や関西の三羽カラスとして活躍したプロゴルフの中村通(なかむらとおる)サントリー所属・がひき逃げで逮捕されるというニュースに衝撃が走っている。

中村通といえば1968年にプロテストに合格。79年には賞金ランキング2位になるなど好成績を上げていたゴルファーだった。21年間もの間賞金シードを失うこともなくかなりの実力者でったことは間違いない。同年代の山本善隆らと関西四天王と呼ばれた賞金も上位が常連だった。
さらに79年には3勝を挙げて賞金ランク2位となり、翌80年マスターズに招待されるなど一流プレイヤーだった

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プロゴルフといえば、とにかく「正直であることマナー遵守」がなによりも求められる。

先日も、若いプロゴルファーがスコアを二打偽り、事実上の永久追放(10年間の出場停止)になるなど、ルール違反には厳しいスポーツ。
それだけに、ベテランゴルファーの中村通の逮捕にファンも衝撃が走っている。

中村通の経歴やwiki、プロフィール

まずは、今回逮捕された中村通の経歴や獲得賞金をwikiから引用してみよう。


【氏名】中村通
【読み方】なかむら とおる
【生年月日】1950年10月31日
【年齢】67歳
【出身】大阪・茨木市
【身長・体重】168センチ63キロ
【出身校・学歴】茨木市立豊川中学
【生涯獲得賞金】¥755,580,792
【ツアー勝利数】20回
【18ホール最小スコア】 63(1985年以降)
【血液型】A
【趣味】将棋

中村通は11歳でゴルフを始めると小さい身体ながら、抜群の飛距離と繊細なアプローチでメキメキとゴルフが上達。誰もが中村通はプロになると信じて疑わなかった。

実際に、17歳でプロテストに合格すると国内ツアーやアジアサーキットなどで活躍する姿は、まさに日本のツアーの中核を担うプレーヤーとして大活躍していた。

最近は慢性的な肘の故障などで、2016年も40位~60位がほとんど。

かつては関西四天王と称されるなど賞金ランキングの常連として活躍していたが衰えは隠せなかった。
主な優勝は次の通りだ。

1973年 – ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント
1974年 – KBCオーガスタゴルフトーナメント
1975年 – ABCカップ・日米ゴルフ対抗戦
1978年 – ダイヤモンドカップゴルフ、よみうりオープンゴルフトーナメント
1979年 – ダイヤモンドカップゴルフ、JCBクラシック
1982年 – ブリヂストン阿蘇オープン
1984年 – ゴルフ日本シリーズ、日本プロゴルフマッチプレー選手権、関西オープンゴルフ選手権競技
1986年 – ゴルフ日本シリーズ、ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント
1990年 – サントリーオープンゴルフトーナメント
1992年 – 全英への道 ミズノオープン

シニアツアーでも三勝を上げている

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中村通を悩ませたイップスと腱鞘炎などの怪我や体調面に不安も

そんな中村通が1980年台に入ると、少しずつ成績が下降するようになる。

一年ごとにランキングが上下。成績が不安定になっていくのだ。

そこには中村通の次のような事が原因ではと言われている。

○技術的にはグリーン回りのショートゲームに自信を失う
○腱鞘炎など怪我の悪化
○体調面の不安

などが原因で成績が低下していったとも言われている。

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中村通がひき逃げで逮捕

ゴルフ界の往年の名プレイヤーが、なんとひき逃げで逮捕というニュースに衝撃が走っている。

 兵庫県警宝塚署は10日、自動車運転処罰法違反(過失致傷)と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで、プロゴルファーの中村通容疑者(67)=宝塚市=を逮捕した。
逮捕容疑は9日午後6時15分ごろ、同市中筋3の県道で乗用車を運転中、男子大学生(25)の自転車と接触して軽いけがを負わせたが、そのまま逃げた疑い。容疑を認めているという。

 宝塚署によると、中村容疑者は、右折して反対車線沿いにある温浴施設へ入ろうとして自転車にぶつかったという。大学生が110番した。同施設の防犯カメラに中村容疑者の乗用車が写っていた。

中村通の逮捕にネット上には様々な声や厳しい意見が上がっている

▼中村通といえば、関西ではその名を知られたゴルファーだったのになぁ…
▼これはアカンやろ。腹立つ
▼中村通といえば関西出身のプロとして知られてたゴルファーだろ。OB打ち込んだ感じだな。ひき逃げはお終いだ人間として
▼えー!まじか
▼あの中村通?!
▼あの中村通さん???
▼中村通ひき逃げかよ。。。
▼獲得賞金たしか七億だったはず

中村通は人気漫画プロゴルファー猿みたいに一本の木から手創りでゴルフクラブを作っていた

中村通が生まれたのは戦後まもない昭和25年。

関西の名物の茨木カンツリー倶楽部が近くにあり、生まれ育った環境もゴルフ関係者ばかりだったという。

コースの職員やキャディさんにプロゴルファーなど、中村通の身近にはいつもゴルフがあった。

そんな、中村通は父は市役所勤めの次男として生まれる。
兄もプロゴルフを目指すなど、いわゆるゴルフ一家だった。子供のころから家の近くをゴルフ場に見立てて、中村通は人気漫画プロゴルファー猿みたいに一本の木から手創りでゴルフクラブで遊ぶなど、とにかくゴルフが大好きだった。

その後中学生の時に、お小遣いを貯めて七番アイアンを一本だけ購入。

七番アイアンでショットからパターにバンカーとそれ一本でプレーしていたという。

練習生としてキャディの業務をこなしながら練習に励んで、17歳で度胸試しで受験したプロテストに合格してしまう。

 1973年、22歳時に沖縄TVカップで初優勝。翌年からサントリーと契約した。79年には賞金ランク2位まで上昇し、翌年はマスターズなど海外メジャーで活躍する名プレイヤーだった。

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