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INCIDENT

中村泰(ひろし )国松を狙撃したスナイパーの現在・・真犯人は俺だ!

中村泰(ひろし)。

現在は刑務所の中で闘病生活を送っている。

その男が今、再び脚光を浴びている。

「国松を狙撃したスナイパーは俺だ。」

自ら、自分の行った犯罪行為を誇らしげに語る男とは一体どのような人間だったのだろうか。

改めて中村泰という男がどのような人間だったか。

本人が供述する今回の事件をまとめてみたいと思います。

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国松警察庁長官狙撃の事件発生

平成7年。1995年3月30日午前8時半すぎ。

日本で警察のトップを標的にした衝撃のテロ事件が発生した。

隅田川が流れる南千住の高級マンション・アクロシティ。

早朝、冷たい雨が降りしきる中、男性の背、後20.92メートル離れた場所から数発の銃弾が発射された。

3発もの銃弾を被弾したのは、当時の警察庁長官・國松孝次。

全国22万人の警察のトップを狙った前代未聞の暗殺未遂事件だった。

捜査は、一つ犯人像を見立てていた。

「これはオウムの犯行だ」

このオウムの犯人像を探し求めて深みにハマっていく。

国松長官狙撃事件とオウム真理教

国松長官が狙撃された10日前。

警察はオウムの強制捜査に乗り出していました。

当時、日本はオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件の捜査の真っ只中。

さらに、テレビ局にオウム信者からの犯行声明ともとれる電話がかかってきたこともあり、オウム真理教事件の矯正装花に対するカルト教団のテロ。

誰もがその「印象」を抱いていた。

すでに、この時教団に幹部が複数名警察に逮捕されていた。

彼らオウム信者にとってテロは宗教的儀式の意味合いがあり、犯行はともすると「聖なる行い」であるために堂々とテロを誇らしげに語る人間もいた。

しかし、この警察庁長官の國松孝次の狙撃に関して、オウム信者は誰一人として犯行への関与を否定していた。

さらに、テレビ局の取材に当時のオウム真理教の広報的な活動をしていた上祐史浩氏も、次のようなコメントをテレビ局のインタビューで答えたた。

上祐史浩氏:「私は麻原にいくつかの事件に関して関与したのかを問いただした。サリン事件は認めた。しかし、國松孝次狙撃事件だけは教団ではないと否定した。

テロを正当化し、その行為を誇らしげに語ってきた麻原や信者たちが口を揃えて國松孝次長官の狙撃事件に関しては「完全否定」していたのだ。

そして・・

「2010年3月30日」この日をもって、警察官のべ48万人を動員して捜査した國松孝次警察庁長官狙撃事件は時効成立した。

国松狙撃事件の真犯人は一体誰だったのか。

日本の治安維持を担う22万人の警察のトップが狙撃された事件。

この事件の真犯人はどうして逮捕されなかったのか?

実は、警察と公安という2つの組織が捜査に携わっていた

この事件は、警察と公安の2つの組織が捜査に関わっていた。

本来、この事件は警察の刑事部が捜査を担当する。

しかし國松孝次狙撃事件は、主に過激派や思想犯などの情報収集を担当する公安部が担当していた。

当時、警察はオウム真理教事件の捜査で手一杯。

國松孝次長官の狙撃事件は警察ではなく「公安」が担当していた。

その公安が「オウム信者による犯行」で捜査を継続。

結果として、現役のオウム信者さった警察官Kと協力者として他の男を逮捕するも、検察は起訴しても裁判を維持できないとして不起訴処分としたのだ。

未解決となったこの事件。

しかし、公安部の捜査とは別に、偶然にも刑事部の捜査である1人の男が浮上していた。

真犯人を名乗る男。「中村泰」

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中村泰・・刑事部の捜査で浮上した男

公安部の捜査がオウム真理教へと傾く中で、刑事部はまったく偶然ではあるものの、1人の男が浮上していたのだ。

それが

中村泰(ひろし)だった。

名古屋で現金輸送車を銃撃したとして2002年に逮捕されていた男。

中村泰の捜査で浮上した証拠品。

その一つ一つが、中村泰の関与を強く疑うものだった。

●60を超える偽名
●ニセのパスポート
●ニセの免許証
●盗難車のものと見られる127の鍵
●軍事用の防弾チョッキ
●ガスマスク
●10センチを超えるシークレットブーツ
●貸し金庫の鍵

これだけではない。

なんと、中村泰のアジトから國松孝次の自宅までの経路を記した地図。

フロッピーディスクには長官銃撃のときの心情を描写した詩が書かれてていたのだ。

警察は、中村泰のアジトから貸し金庫の鍵を発見。

1000発以上の実弾と14丁の銃を押収したのだ。

刑事部は中村泰の犯行を強く疑っていた。

中村泰という男

中村泰とはどのような男だったのか。

中村秦の生い立ち

中村泰は1930年(昭和5年)東京の新宿生まれ。幼少期は旧満州国で幼少期をすごしたと言われている。

中村泰の父親は南満州鉄道に務めていた。

日本は日中戦争の真っ只中。身の回りには武器がゴロゴロしていた。

なんと10歳の頃から銃を撃っていたという。

1940年に日本に帰国した中村は旧制水戸高校に入学する。

その頃、中村が通っていたのが「愛郷塾」という私塾。

そこでは「愛国心」「同胞愛」などの思想教育が教えられていた。

当時、高校生だった中村はこの塾を主宰していた橘孝三郎と出会う。

昭和を代表する思想家の1人で極端な「愛国思想」で知られていた。

国家転覆を狙った515事件に若い青年を連れて参加していた。

今で言うネトウヨみたいた男だった。

「愛国心」という腐った思想に染まった男は1949年に東京大学に入学する。

少年時代は貧困に苦しみ、戦争に突き進む国を強く嫌悪していた。

頭脳明晰で優秀だった中村泰は東京大学教養学部に入学する。

中村泰は担当教授から「ノーベル賞をもらえる頭脳」と言われるほど優秀だったと言われている。

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しかし学生運動で2年で中退

しかし、学生運動にのめり込み「革命」を目指して東大を退学。

武器を使った武力革命を志していいく。

26歳の時には大事件を起こしていたのだ。

1つ目の犯行 中村泰は26歳で警察官を射殺して無期懲役に

1956年中村泰は革命資金獲得のために金庫破りを繰り返してた。

東京の三鷹で事件は起きた。

職務質問してきた当時22歳の巡査に対して3発の銃弾を発射。

中村泰はこの事件で無期懲役の判決がくだる。

その罪で19年間もの長きに渡って千葉刑務所に収監されていたのだ。

この千葉刑務所での収監が彼をさらにテロに突き進むきっかけを与える。

45歳で出所

中村泰は無期懲役で19年間千葉刑務所に服役。

45歳で出所する。

2つ目の犯行 現金輸送車襲撃事件

名古屋で現金輸送車を襲ったて逮捕されている。

マスクと帽子にかつらで変装した中村泰は献金輸送者を襲撃。

5000万円を奪うもすぐに警備員に追いつかれて現行犯逮捕される。

チェ・ゲバラと右翼の大物

中村泰は19年間の服役生活の中で、革命家のチェ・ゲバラに思想にのめり込んでいった。

出所してからも、ゲバラの原書をスペイン語で読むために、スペイン語を猛勉強。

少ない人数で武器をもって独裁から市民を開放した英雄をみて、自分もゲバラになると決める。

さらに、右翼の大物で民族派の論客として知られる野村秋介などから強い影響を受けた。

中村泰は、野村の知名度を利用して「組織」を作ろうとしていたと言われている。

しかし、中村泰の元に人は集まらなかった。

若い頃から、警察や国家権力に対する屈折した恨みがあったとも言われていた。

中村泰は、出所してからも孤独な地下活動に突き進むことになる。

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自分も組織を作りたい・・資金集めのために先物取引に

中村は、出所してから先立つものがなかった。

そこで「ノーベル賞を貰えると言われた頭脳」で先物取引で大きな利益を手に入れていた。

その利益は中村泰いわく1億とも言われている。

その資金をもって中村泰は偽造パスポートで内戦地域に出向く。

中米のニカラグアに向かうも失意の帰国

内戦を起こしていた革命軍に義勇兵として参加しようと出国したのだ。

しかし・・中村泰がニカラグアに到着する頃にはすでに休戦状態に。

結局、中村泰はゲバラになることなく失意の帰国をしていた。

1980年台にはアメリカで軍事訓練やスナイパーのを行う

中村泰は気がつけば50代になっていた。

体力が低下していく中でも中村泰の武力による「革命」への憧れは突きていなかった。

先物取引で得た資金でアメリカに渡米。

銃の訓練を受けるなどスナイパーとして、その「あこがれ」は突きなかった。

そして、そこで中村はある出会いによって更に深みにハマっていく。

アメリカで運命の出会いをする

中村泰の銃の腕前はメキメキと上達していった。

日本人の中でも小柄な部類に入る小さな男が外国人をも凌ぐ銃の腕前を見せていたのだ。

そして、そこで中村泰はある男と運命的な出会いをしてしまう。

日本人のAさんだ。

Aも中村泰とおなじガンマニアで、日本人の中村泰とすぐに意気投合する。

このAもまた中村泰と同じ思想を持っていたのだ。

そして中村泰に衝撃的な言葉を放つ。

「我々は日本人だ。革命を起こすなら日本で起こす。」

この言葉に衝撃を受けた中村泰はAとともに「愛国」と「革命」を志す特別義勇隊なる組織結成に向けて動き出す。

中村泰はアメリカで武器を購入していった。

そして、分解しバッテリーチャージャーの中に隠して日本国内に持ち込んだ。

日本国内で再び銃を組み立てて新宿の貸し金庫に保管していたのだ。

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そして眼の前に現れたオウム真理教

日本に帰国した中村泰の前に現れたのがオウム真理教だった。

松本サリン事件を、すでにオウム真理教の犯行だと二人は革新していた。

愛国心の強い二人はオウム真理教に対して強い怒りを覚える。

当初は、同士のAと中村泰はオウム真理教に対して強烈な怒りをあらわにする。

オウム真理教のサティアンを武器で襲撃を計画

中村泰と同士のAはオウム真理教に対しての怒りを顕にする。

上九一色村にあるオウム真理教のサティアンを革命のための武器で攻撃しよう。

二人はとんでもない計画をぶち上げる。

しかし、途中からその怒りの矛先は警察にむかうのです。

なぜ警察は今までオウムを放置していたんだ?警察が悪い!

しかし、いつしかオウムを野放しにした警察に怒りの矛先が向かってしまうのだ。

「どうして警察はもっと早く強制捜査をしなかったんだ」

中村ひろしは「松本サリン事件という前兆がありながら地下鉄サリン事件を阻止出来なかった責任を取らせる。

さらに、そのテロをオウムに責任をなすりつけることで一石二鳥の犯行を行う事を計画したのだ。

中村泰の自供と次々と裏付けが取れる物証

中村泰はテレビ朝日やNHKなどのメディアに対して手紙を送っている。

その中で「國松孝次を狙撃したのは間違いなく自分だ」そう断言していたのだ。

とくに犯行に使われた拳銃に対しても強いこだわりがあった。

犯行に使ったのはコルトハンター。

「アメリカのウェザビーという店で買った。」

実際に、アメリカには「ウェザビー」よいう店があり中村泰が銃を購入した記録も残されていた。

しかし公安の捜査はオウムでなければならない。

犯人はオウム以外であってはならない。

そのような警察組織の「空気」が中村秦の逮捕を許さなかった。

中村秦の現在

中村秦は現在、どうしているのだろうか。

NHKなどが報じたところによると、中村秦は現在は岐阜刑務所に収監されているという。

テレビ局に自らが国松長官撃事件の犯人だとする手紙を送ったりしていた。

しかし、現在は獄中でパーキンソン病を患い手足の自由が効かなくなっているという。

中村秦は今年で88歳になる。

獄中人生のほどんどを獄中で過ごした男にとって国松長官の狙撃事件は人生の集大成になってしまった。

愛国心による武器による革命。

根底にある貧困からくる国や国家権力への反抗心。

人生の終盤に彼は岐阜刑務所のベッドの上で何を思うのだろうか。

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