爆報!THE フライデー・金スマ

三菱銀行人質事件 女子行員とのその後があまりにも残酷だった

2018年3月23日放送の爆報!THEフライデー【タブー解禁!大女優の死の裏側追跡2時間SP】にて三菱銀行人質事件が特集される。

三菱銀行人質事件 女子行員とのその後がどうなったのか、当事のワイドショーを騒がせた凶悪事件に新事実が発覚するという。

改めて爆報!THEフライデー【タブー解禁!大女優の死の裏側追跡2時間SP】にて特集される「三菱銀行人質を特集します。」

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三菱銀行人質事件 女子行員とその後

三菱銀行人質事件は今から40年ほど前に起こった。

三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)は、1979年(昭和54年)1月26日に三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした凶悪な事件だった。

昭和54年1979年1月26日午後二時半すぎ、大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店に大きなバックを抱えた1人の男性が入ってきた。

男性の名前は梅川 昭美(うめかわ あきよし)。
当事30歳の男が引き起こした日本の犯罪史上稀にみる巨悪事件だ。

梅川昭美は方に担いだゴルフバックを三菱銀行北畠支店に持ち込んだ。

その方に担いだゴルフバックの中には上下二連の散弾銃。

そしてスーツのポケットの中には数十発の実弾を持っていた。
テラピンチを目深にかぶって大きめの黒のスーツに身を包んだ梅川昭美は銀行の天井にに向けて二発発砲。

ここからやく42時間に渡る日本犯罪史上類を見ない三菱銀行人質事件の幕が上がる。

要求は現金5000万円

梅川昭美は天井に二発発砲して現金を要求した。

「10秒数えるあいだに5000万円をだせ」

梅川昭美は自分が持参したバックに現金を詰めることを要求した。

しかし、事件を通報しようとした20歳の男性銀行員を見つけて発砲した。

この銀行員は長時間意識があったが救出が不可能だったために数時間ごに亡くなっている。

この発泡で流れ弾にあたった男女二名も負傷している。

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現場から逃げ出した客が巡回中の警察官に通報して事件発覚

梅川昭美は、現金を奪ってその場から逃走するはずだった。

しかし、現場からかろうじて逃げ出した客が現場近くを警ら中の住吉警察署警邏課係長に通報し、事件は発覚した。

銀行には283万円ほどを差し出し、バックに詰めるように指示する。

だが、ここから梅川昭美の予想よりも遥かにはやく警察が到着してしまう。

現場に到着したのは楠本正己警部補が銀行に駆けつける。

マニュアルに従って楠本正己警部補は天井に威嚇発砲。
しかし、梅川昭美はなんの躊躇も無く、警察官に向けて発砲。

楠本正己警部補は殉職してしまう。

事件発生から数分で3人もの犠牲者出してしまう

被害はこれだけでは済まなかった。

その前後に店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。直後に阿倍野警察署パトカー阿倍野一号で駆けつけた巡査及び巡査長にも梅川は発砲し、前畑和明巡査を射殺した。もう一人の巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった(予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)。

梅川昭美は三菱銀行に押し入ってから数分で3人もの犠牲者をだす。

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逃走用の自動車なども用意していたが銀行に籠城する

午後2時35分ごろ大阪府警に銀行の異常事態が通知
午後2時38分ごろ大阪府内の全署に緊急配備指令発令。
午後2時40分ごろ武装警官およそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。

事件から数分で3人もの犠牲者を出してしまった梅川昭美はあっという間に警察官に取り囲まれてしまう。

すると梅川は行員にシャッターを下ろすよう命じ、銀行の出入口を閉鎖したが、その際現場に到着していた警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった。

この時点で銀行には客12人と行員31人の合計43人が梅川に人質に取られたが、うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放。

銀行内にはこの他に貸し金庫などに身を隠していた五名が梅川昭美によって人質となってしまった。

梅川昭美は女子行員を建てにバリケードを作らせた

梅川昭美はバリケードを人質に作らせて自分は支店長の席に座って点呼をとった。

そして、支店長を名乗りださせて発砲。
四人目の被害者となった。

梅川昭美は15歳で強盗○人事件を起こしていた

梅川昭美はなんと15歳で強盗事件を起こしていた。

との時の供述で「他の人間はぬくぬくと生きているのになんで俺だけ貧乏なんだ 強盗したのは俺のせいではない」という趣旨の供述をしている。

全てを他人のせいにしながら経済的に恵まれた人間への憎悪は半端ないものだった。

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