全盲のアメフト選手のジェイク・オルソン が2017年11月2日(木) 19時57分~20時54分 放送の奇跡体験アンビリバボーで全盲のアメフト選手として特集されることが2日わかった。
一体どれだけの人間が、恵まれた環境の中で夢を諦めてきたのか。
ジェイク・オルソンとその家族が起こした奇跡の実は多くの人間に夢と希望を耐えるのは間違いない。
普段は、盲導犬のケベックくんがいなければ普段お生活すらままならない、そんな彼が起こした奇跡。
オルソンのキセキとは一体・・・
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ジェイク・オルソンは全盲のアメフトその生い立ちも凄い
ジェイク・オルソンというアメフトの選手が話題になっている。
アメフトといえば、アメリカでは超人気スポーツ。その分競技人口も莫大で、スター選手になるには大変な努力が必要だ。
その強者揃いの競技者の中でもジェイク・オルソンはなと全盲の選手なのだ。
しかも、ジェイク・オルソンは、USCトロージャンズの今季開幕戦(現地時間:2017年9月2日)であるウェスタンミシガン大学ブロンコス戦に出場。
なんと、ロングスナップを成功させてPATとして加算される大きな1点に貢献したのだ。
ジェイク・オルソンは幼いころからUSCトロージャンズの大ファンだった。
しかし、彼には少し人と違う個性があったのだ。
は眼球を2つとも失っていたのだ。
網膜芽細胞腫。
ちょっと聞き慣れない言葉だが、『子供の目のがん』といったら分かり易い。
ジェイク・オルソンはこの病気の為に生後10ヶ月で眼球摘出手術という大手術を受けていたのだ。
眼球摘出手術は早期発見であれば眼球摘出しなくてもいいケースが多いだけにジェイク・オルソンがイカに重篤な症状だったがが窺い知れる。
網膜芽細胞腫とはどんな病気?
日本では年間たった80人しか発症しない、子どもがかかる目のがん。
1万5000人の出生児に1人の頻度で発症し、男女差はない。目のなかにある、光を感じる網膜から生じ、片方の目だけの場合を片眼性、両方の目の場合は両眼性という。片眼性が全体の65~70パーセントを占め、3歳くらいから就学前に見つかることが多い。一方、両眼性は30~35パーセントで、発症年齢は生後すぐから1~2歳など低いケースが多いという。
ジェイク・オルソンは。死の危険は免れたものの、生後10カ月で左目を摘出。2歳までに50回以上の手術を行っていたのだ。
そんな闘病生活の中えでジェイク・オルソン少年を支えたのが大好きなアメフトだった。
ジェイク・オルソンはアメフトの選手たちの活躍がなによりも自分自身の心の支えだった。
ジェイク・オルソンはテレビや雑誌などアメフトに夢中になっていった
ジェイク・オルソン少年は幼少時代から繰り返す手術にも必死に戦っていた。
その中でいつか自分もアメフトの選手になりたい。
進行していく目のがんにもめげることなく将来の夢を強く願っていたのだ。
しかし・・12歳のときについに右目も摘出しなければならなくなってしまったのだ。
ジェイク・オルソンは12歳で右目も摘出するときの願い・・「トロージャンズ(USCのニックネーム)の練習を間近で見たい」
大のUSCファンだったジェイク・オルソン少年の願い。
それは、「トロージャンズ(USCのニックネーム)の練習を間近で見たい」という希望だった。
その少年の願いは、なんとピート・キャロル監督(現NFLシーホークス監督)の耳にはいることになる。
ピート・キャロル監督(現NFLシーホークス監督)はジェイク・オルソン少年の願いを叶えてあげるべく、手術前日の夜間練習を見学させて上げるという特別なはからいをした。
無事に手術は成功したものの、ジェイク・オルソンはついに、両目の視力を完全に失ってしまったのだ。
ジェイク・オルソンはどんな状況においてもいつも前向きだった!!
通常であれば、夢を失い失望の中で生きていくしかない状況でもジェイク・オルソンはいつも前向きだった。
カリフォルニア州アナハイム郊外にあるオレンジ・ルーザラン・ハイ・スクールに入学すると、アメリカンフットボールのチームにも所属。
ジェイク・オルソンの熱心で真面目な練習への取組みは誰もが認めるところだった。
なにより凄いのはジェイク・オルソンは選手として非常に優れいていて、戦力として完全にチームにはなくてはならない存在だったというのだ。
「彼はチームでのキャリアのうち、失敗は2回しかしていない」とも。さらにピーターセン氏は、「我々は慈善事業のひとつとして、彼をチームに所属させたわけではない」と語っています。 「まず第一に、ジェイクがそれを許さなかっただろう」と。
という時の高校時代の対戦チームの相手はあまりの俊敏なアメフトのプレーにジェイク・オルソンが視力を失っていることに気が付かない選手すらいたという。
そして、ジェイク・オルソンはなんと、2015年に身体障害者のための奨学金を獲得すると、USCに入学をすることが決定したのだ。
ジェイク・オルソンは努力と前向きな気持でついに奇跡を起こす
ジェイク・オルソンは高校時代を経て遂にUSCに入学を果たしてしまうのだ。
あまりにも実感がわかないが、ジェイク・オルソンは優秀なアフトの選手であると同時に、彼は全盲というハンデを背負っている。
普段は、盲導犬のケベックくんがいなければ普段の生活もままならない。
にも関わらずケベックくんと普通に大学の授業に通い。ジムでトレーニングに励んでいたのだ。
もともとジェイク・オルソンは191センチと長身ではあるものの、アメフトの選手としてはごく普通の体型だったのだ。そのために、ジェイク・オルソンはハードなトレーニングで二年間で18キロもの増量に成功するなど恒に努力を怠らに人間だった。
そんな全盲のアメフト選手のジェイク・オルソンが12歳のとき、手術の前日にUSCの練習に招待されてから8年後ついに奇跡を起こすことになる。
背番号61の出番!「準備はできているか?さあ、おまえのプレーをやってこい!」
当時12歳。明日視力を失うとわかっていたジェイク・オルソン少年が目と心に焼き付けたUSCの練習風景。
いつか自分もアメフトの選手になりたい!そう強く願った少年のは、諦めない心と絶え間ぬ努力でついに奇跡を起こす。
USCが所属する、アメリカ西部6州の12大学が参加する大学スポーツリーグである「パシフィック12カンファレンス」の開幕戦(2017年9月2日)。彼はUSCトロージャンズのロースター(出場登録された選手)として、対ウェスタンミシガン大学ブロンコス戦に参加。そして第4Qに、出場することとなったのです。オルソン選手は事前にトロージャンズのヘッドコーチであるクレイ・ヘルトン氏から、「第4Qにスコアの様子を見て、出場するかもしれない」ことを告げられていたと言っています。
そして9月2日。ついにその時がやってくる。第3Qまで21―21。出番はないかと思われた。ところが第4Qに入ってUSCは猛攻。みるみる点差は開いていった。ここでチームを率いるUSCのクレイ・ヘルトン監督が背番号61のロング・スナッパーに「準備はできているか?さあ、おまえのプレーをやってこい!」と声をかけた。
オルソンがスナップしたボールは十二分なスピンを得て8ヤード先にいたシュミットの手元に届く。練習通りだった。中腰のシュミットがすぐにボールを立てると、キッカー、チュース・マグラス(1年)が右足を振り抜く。楕円形のボールはポストの間を通過。その瞬間、USCに1点がもたらされた。
ジェイク・オルソンの奇跡に涙した二人の人物
ジェイク・オルソンが勝ち取った1点。その1点は多くの人の心を揺り動かした。あの時、練習を見学させたキャロル前監督は「涙が止まらなかった」と号泣。スタンドで見守っていた母シンディーさんも「思わず叫んで跳び上がってしまいました。ジェイクが夢を叶えたんですから…」と声を詰まらせた。
そして、オルソンの奇跡を起こしたとうの本人のコメントが何呂も素晴らしい。
「フィールドに立ちたかった。だから一生忘れない瞬間になった。信じられないよ」
「神様のやっていることが見えないなら、私はその人こそが盲目だと思う」
きっと、ジェイク・オルソンはこれからも多くの奇跡を起こし続けていくのかも知れない。