未分類

【松本智津夫 生い立ち】 娘や家族の主張と平成で事件を終わらせたかったとの声も

ついに、オウム事件の首謀者として逮捕されていた麻原彰晃こと、本名松本智津夫の刑が執行された。

日本の犯罪史上類をみない大事件の真祖は改名されたのか。

また、麻原彰晃こと松本智津夫はどのような生い立ちだったのか。さらに松本智津夫の娘や家族の主張は聞き入れられなかった。

賛否両論巻き起きる中で、平成の大事件に一つの区切りがついたこは間違いない。

スポンサーリンク



松本智津夫の生い立ち

まずは、刑が執行された松本智津夫の生い立ちを改めて振り返っていみたいと思います。

宗教団体オウム真理教の教祖といて君臨したのが麻原彰晃こと松本智津夫。

プロフィール

本名:松本智津夫
かな:まつもとちづお
生年月日:1955年3月2日
家族:両親と6男3女の11人家族の4男で第七子として誕生。

松本智津夫の幼少期

松本智津夫は11人家族の7番目の子供として生を受けました。

両親は子どもたちを養うために必死で働いていたために兄や姉が松本智津夫の世話をしてくれました。
松本智津夫の両親は地場産業の畳職人として働いていましたが、畳の需要は年々低下。

その生活は相当苦しいものであったといいます。

当時、松本智津夫が転向した学校の教師でさえ、こんなに貧しい家庭は見たことがないと言うほどだった。

松本家は弱視の家系だった

しかし、松本智津夫は幼い頃から視力が弱く松本家の家系も視力が弱い人が多かったそうです。
12歳年上の長兄は全盲、5男も弱視だった。

1961年に地元の八代市立金剛小学校に入学します。
視力の問題で飽きには盲学校に転校せざるを得なくなります。

松本智津夫は先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だったと言われています。

盲学校に転向して両親に捨てられたと思い込む

わずか半年で盲学校へ転向を余儀なくされた松本智津夫。

熊本県立盲学校に転校、寄宿舎に移住します。

松本智津夫はこの時、全盲の兄と違い自分に視力があったのに学費も寄宿舎代も食費も不要な盲学校へ入れられたことを親に捨てられたと思いこんでいたという。

実際に、松本智津夫の両親は面会に来ることもなく近所では「口減らしでは」と噂されてました。

驚いたことに松本智津夫が成人で卒業を迎える13年間、両親は面会にこなかったと言われています。
また、松本智津夫の兄弟は、週末に生徒が帰宅するなか松本智津夫とその兄弟は寮に残っていました。

全盲の生徒を子分にお山の大将だった

松本智津夫は右目の視力が残っており、全盲の生徒たちの中でガキ大将として傍若無人の生活を送っていました。

暴力で支配、全盲の子供を外へ連れ出すと食事をおごらせたり金を巻き上げるていたといいます。

とくに金への執着は凄まじく、生徒から巻き上げた金をで貯金総額は当時の金額で300万を超えていたと言われています。

生活指導の教員への言葉の暴力も日に日にましていき、松本智津夫を退学させるべきだとの声もあがっていました。

その一方で、外面の良さを魅せる一面もあり、人によって著しく対応を変えていたといいます。

結局、松本智津夫は二十歳を迎えるまでの生い立ちは「両親に捨てられた」という思いと全盲の生徒の中では目が見えるという事を逆手にとってやりたい放題だった。

成人してからの松本智津夫

成人してからの松本智津夫は、医師を志すものの上京と実家に出戻りを繰り返す。

1978年(昭和53年)1月7日、代々木ゼミナールで知り合った妻、松本知子(旧姓石井)と結婚し、千葉県船橋市湊町に新居を構え、そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院しているが、事業はうまくいかずに、薬事法違反での逮捕などを繰り返しながらスピリチュアル系や新興宗教に傾倒していきます。

スポンサーリンク