乙武洋匡が不倫・離婚騒動に参院選出馬断念など五体不満足でありながら、ある意味で”精力的”に活動する彼のバイタリティとはどこにあるのだろうか?

そのバイタリティの一旦を垣間見るには、やはり乙武洋匡が記した名著・『五体不満足』のあらすじを改めて振り返ることで紐解いてみたいと思う。

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乙武洋匡の名著・『五体不満足 あらすじ』

 『五体不満足-完全版』(文庫)が出版されたのは2001年。

「満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった…」。

1976年(昭和51年)に、乙武洋匡さんが生まれた時の様子が書かれた「まえがき」から始まる。

先天性四肢切断という「超個性的な姿で誕生」した日を、著者はそんな言葉で描写している。

乙武さんの母親は「生まれてきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう」という感想を書きつけた後で、1ヵ月後に行われた母との対面の様子を紹介する。そのとき母は単純に「かわいい」と言ったのだ。

実は、病院側と父親は相当のショックと罪悪感を乙武氏の母親が感じてしまうのではないかと最大限の配慮をしていた。

周囲が不安と悲しみにくれるなかで母親が発した言葉は・・

「驚き」や「悲しみ」ではなく、「かわいい」という「喜び」であり、乙武さんは、「生後1ヶ月、ようやくボクは『誕生』した」と記されている。

今野哲男さんは、このまえがきの事をこう評している。

一見客観的な文体でつづられたこの「まえがき」は、ある意味で「神話」である。生後1ヵ月の子に確実な記憶などあるはずはないし、周囲にも何らかの単純化の配慮があったことが、容易にわかるからだ。

しかし、周囲の事情は問題ではない。大事なのは、「神話」によって培われた著者の強い自己肯定感覚の力である。「靴の代わりに車椅子に乗る」と言い、障害を個性としてとらえてやまない著者の芯の強さは、この自己肯定感覚なしには考えられないからだ。

乙武洋匡さんは東京都江戸川区葛西で人生をスタートさせた。

さらに、彼を受け入れてくれる幼稚園に通園するために東京都世田谷区用賀に移り住む。

そして、乙武さんの受け入れに理解と情熱を注いだ学校に恵まれ、運動会の徒競走や、険しい登山ルートがある遠足、なわとび、水泳などをしながら、クラスメイトたちといっしょに少年時代を過ごしました。中学では選手としてバスケットボール部に入り、戸山高校ではパソコンを使ったデータ分析らを担う担当としてアメリカンフットボール部で活躍。乙武さんを門前払いしなかった駿台予備校で一浪して、早稲田大学に入学。エコや街づくりのイベントに関わるようになり、同時に、乙武さんの活動がマスコミで取り上げられ、講演依頼が来るようになった様子などが記されています。

引用:http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/085.html

五体不満足はここで、ハッピーエンド。

しかし・・五体不満足完全番で、ある意味ではここからがスタートだった。

五体不満足完全番では、五体満足な人間が乙武氏にむけるある偏見に苦しむことになる。
読者が期待している「天使のオトくん」「純真無垢なオトくん」と自分自身の実像にズレを感じ始める。

五体不満足を読んだ人々が期待する「オトくん」を演じ続ける事に強烈な違和感を感じるのだ。
「自分が自分でなくなってしまうことに」気がついたエピソードが「逆差別」を生む実態を訴えている。

乙武氏はそこから「車椅子に乗っていることでもなく、有名人であることでもない、乙武洋匡の独自性」で勝負するライターで勝負すると記されていた。

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ハンディがある人間は聖人君子でも天使でもない

乙武氏は五体不満足の完全版で、本を出版しある意味で成功した後の聖人君子でありつづける苦悩こそがこの本の本当の意味だったのかもしれない。

毎年、議論になる日本テレビのチャリティ風バラエティ番組の「24時間テレビ 愛は地球を救う」もまた然りだ。

やらない偽善より、行動する偽善。

確かに毎年、一日で数億単位の募金集まる。しかし、日本テレビの24時間テレビがスポンサーから稼ぎ出す金額は、たった一日で20億円を超えるドル箱番組。

そこには、障がい者を無理やりテレビに引っ張り出して、感動を自作自演する姿に批判がおっこった。

もちろん、正解はない。

五体不満足がもたらした問題提起はあまりにも大きいものだった。

自分自身のアイデンティティを確立して、他社を寛容になる事が出来るか・・・その意義を問いかけているように思えてならない。

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