Jリーグに激震が走った。あの無能といわれた村井満チェアマンの元で活躍していた中西大介がセクハラやパワハラで辞任に追い込まれた。

村井満チェアマンといえば、華麗な経歴プロフィールの割には無能と表されるなど、その評価は分かれていた。
一方でDAZN契約など中心的存在として活動していた。

そだけに、村井満チェアマンの中西大介常務理事に対するセクハラ辞任劇に様々な方面に影響が出ることは間違いない。

日本サッカー協会で、日本代表チームの強化を取り仕切る技術委員会のメンバー、技術委員も務めたことがある村井満さん。

どのような経歴の持ち主なのだろうか。簡単に経歴とプロフィールを振り返ってみたい。

村井満氏の経歴とプロフィール

【氏名】村井 満
【読み方】むらいみつる
【生年月日】 1959年8月2日
【年齢】57歳
【学歴】埼玉県立浦和高等学校 ⇒ 早稲田大学法学部
【出身】埼玉県
【職歴】日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。

村井満氏は偏差値70超えの超名門高校から早稲田大学法学部へ

村井満さんは埼玉県立浦和高等学校から早稲田大学法学部に進学。
幼い頃から非常に優秀で、埼玉でも名門進学校とされている。

村井満が在籍した埼玉県立浦和高等学校は、その中でも県内トップの高校だ。埼玉が誇る県立高校の四天王とよばれ、偏差値70を超える学校は4校しかない。

・浦和高校・・・・・・偏差値72
・大宮高校・・・・・・偏差値73(理数科)偏差値71(普通科)
・浦和第一女子高校・・偏差値71
・春日部高校・・・・・偏差値71

村井満氏は早稲田大学を卒業してリクルート社へ入社、エリートコースを爆進する

村井満氏は早稲田大学を卒業後、1983年に日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。

リクルート入社後は東京・秋葉原の営業所配属となり、近辺の中小電気ショップを中心に求人広告の営業活動の業務を行っていた。

1988年に発生したリクルート事件とほぼ時を同じくして営業部門から人事部門に異動となる。
その後は、人事畑でその手腕を発揮していく。

2000年にはリクルート社の人事担当の執行役員に就任。2004年に本社執行役員兼務でリクルートエイブリック(後にリクルートエージェント)代表取締役社長に就任。2011年まで社長を務めた。

その後、リクルート執行役員時代の2008年に日本プロサッカーリーグ理事に選任されており以後、2013年まで務めた。
2014年1月16日、大東和美の後を受けて第5代日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)に就任することが内定し、1月31日に正式に就任した。

中西氏の辞任の内容がヤバい!パワハラ・セクハラの嵐で内部からもクレームが

それは、突然の発表だった。

Jリーグは27日、中西大介常務理事の退任を発表した。Jリーグ内において不適切な言動(パワーハラスメントおよびセクシュアルハラスメント)が認められたためだという。同常務理事が同日、辞任届けを提出し、理事会で受理された。

なにしろ、中西氏といえば泣く子も黙る「Jリーグ“No.3”」の肩書を持った人物。
その権力たるや、サッカーでは絶対的なものだった。

jリーグのハラスメントのホットラインに職員が通報したことで発覚

中西氏氏のセクハラやパワハラについて、サッカー界ではかなりに不満が蓄積していたようだ。

中西氏の事件が発覚したのは、jリーグのハラスメントのホットラインに職員が通報したことで発覚した。

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