1983年夏。宇部商業の田上昌徳は甲子園に夢中になっていた。

同じ高校一年生の清原和博が大活躍していた。対戦してしてみたい。当時の高校球児の合言葉は「打倒PL学園」だった。

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清原和博選手は今と違ってすらっとしたスタイルと爽やかな笑顔でホームランを連発。
常にスポットライトを浴び続けていた。

一年生の秋からエース担った宇部商業の田上


一回戦の田上昌徳は絶対に負けられなかった。
二回戦の相手がなんと清原和博がいるPL学園だった。

清原和博と戦うためだけに鍛錬を重ねてきた田上。

田上は一打席目から清原和博と対決。渾身のストレートで三田籍連続ノーヒットに抑える。

競合PL学園を相手に負けはしたものの、清原和博に真っ向勝負が出来たことが田上昌徳に何よりの悦びを感じていた。

しかし・・。

宇部商(山口県)のエース、田上昌徳は次第にスランプに陥っていく。

田上はそれでも清原は真っ向勝負してくれた田上に対して好感をもっていた・・。

しかし、田上は準決勝で異変が起こる・・・

秋から夏の大会とほぼ、一人で投げ抜いていた田上昌徳。
当時の監督はすでに勤続披露で肩も肘も満足に投げられる状態ではないと判断したのだ。

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田上と清原の最後の夏は・・

宇部商はその田上に代わって控えの背番号11、右腕の古谷友宏を先発に抜擢する。実はこの古谷はスライダーを効果的に使って内外角を出し入れするという、PL打線のもっとも苦手とするタイプだった。しかも、この古谷が期待以上の好投を見せ、試合は予想外の接戦となるのである。

宇部商業はこの試合で球史に残る接戦を繰り広げることになる。

田上昌徳はこの試合で守っていたのはマウンドではなく・・レフトだった。

同点で迎えた九回裏。
無言で投球練習をする田上。

監督の下した決断とは・・

田上の登板ではなく、前進守備だった。
結果として外野の間をぬけるPLのサヨナラだった。

この後の田上昌徳の号泣インタビューは今も高校野球ファンの間では伝説になっている。

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