2017年7月7日(金) 20時57分~22時54分放送の「中居正広のキンスマスペシャル大人気北村上野の事件簿!」で元監察医・上野正彦が担当した「吉展ちゃん事件」が特集される。泉谷しげるさん主演でドラマにもなった吉展ちゃん事件。

改めて、この吉展ちゃん事件 を振り返ってみたい。

冤罪という噂や、日本の報道史上はじめての報道協定が結ばれるなど、大々的かつスキャンダラスに報じられたこの事件。

戦後最大の誘拐「吉展ちゃん事件」の裏にも元監察医・上野正彦の活躍があった。ネズミモチが意味するものとは・・?

吉展ちゃん事件を振り返る

まずは、改めて吉展ちゃん事件を振り返ってみたい。

吉展ちゃん誘拐事件は1963年3月31日に東京都台東区入谷(現在の松が谷)で起きた男児誘拐事件だ。
昭和38年といえば、寿屋がサントリーに社名変更。ザ・ビートルズ初の英国盤公式オリジナル・アルバム『Please Please Me』が発売、舟木一夫の「高校三年生」や三波春夫「東京五輪音頭」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」などがヒットしていた時代だ。

日本が上昇気流に乗り上向いていく、そして東京オリンピック。そんな期待に満ちていた時代だった。

神隠しのように消えた吉展ちゃん

1963年3月31日、日曜日の夕方頃、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(4つ)はそれまで近所のSちゃんと家の2階で遊んでいた。

午後5時40分ごろに吉展ちゃんは、いつものように母の豊子に「ママ公演に行ってくる」といって、お気に入りだった水鉄砲を片手に家からほど近い入谷南公園に遊びに出る。

4つの小さい子供を一人で遊びにいかせるというのは強烈な違和感がある。

吉展ちゃんの家から公園は目と鼻の先。さらに、近所の子どもたちや、顔見知りのお母さんがいたた。まさに自宅の庭で遊んでいる感覚だったようだ。

しかし、午後6時ごろ、吉展ちゃんはこつ然と姿を消してしまう。まだ日も完全には落ちておらず、人もいた。まるで神隠しにあったかのように姿がみえなくなってしまうのだ。

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午後7時ごろ吉展ちゃんの父は近くの警察に届け出る

普段は、暗くなったら帰宅してた吉展ちゃんだったが、この日は日が落ちても帰ってこない。吉展ちゃんの父はすぐに近所の下谷北署に届け出た。

しかし、下谷北署は当初迷子として捜査を開始していた。

警察は、迷子として捜査に乗り出す。吉展ちゃんが行方不明になった3月31日から4月1日にかけて現場付近で聞き込みなどを行った結果、吉展ちゃんは30代くらいの男性と話している姿が確認された後に行方不明になった事が分かった。

これにより、翌日の4月1日になってやっと警視庁捜査一課に報告が上がる。

捜査一課の聞き込みにより、次の情報が分かった。

▽午後5時半頃、公園近くで出店していた屋台のそば屋の男性が吉展ちゃんが家の方に来るのを目撃
▽午後6時頃、ひとりで水を飲む吉展ちゃんを近所の駄菓子屋の女性が目撃、話しかける。
▽午後6時10分、公園の管理人が子供たちにもう家に帰るように言った時に吉展ちゃんの姿は見えなかった。
▽午後6時15分頃、最後の目撃。近所の小学3年生男児A君(当時8歳)が、公園の水飲み場で水鉄砲の水を入れていた吉展ちゃんに「水を飲まして」と話しかける。さらに「水飲み場では水が入れにくいだろう」と公園の隅にあるトイレの水道に一緒にくみに行った。ここで30歳くらいの鼠色のうすいような色のレインコートを着た男が便所の中に入ってきて、小便もしないで2人に「坊や、何してんだい。ほう、良い鉄砲だね」と話しかけてきた。暗くなってきたので吉展ちゃんは入り口の方に出て、そこで水を出そうとしていた。男もその後を追った。A君は2人をそこに残して帰宅。

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警察は当初身代金誘拐ではなく変質者の線で捜査を開始

吉展ちゃんの実家はアパートの経営、さらに従業員6人を使って工務店を営むなど近所では裕福な家庭だった。

現在であれば、すぐに営利目的の誘拐を思い浮かべるが、当時の日本では営利目的の誘拐そのものが少なかった。さらに吉展ちゃんの実家は取引先や近所の評判もよく怨恨の線も薄いと見られていた。

警察は、変質者の線で捜査を開始した。

マスコミも挙ってこの事件を報道。ラジオやテレビ新聞もセンセーショナルに吉展ちゃん事件を報道した。

吉展ちゃん事件の犯人小原保から身代金要求の電話がくる

吉展ちゃんが行方不明になってから吉展ちゃんの実家に計9回に渡って、犯人の小原保から身代金要求の電話がかかってくる。

警察は捜査員を吉展ちゃんの自宅に待機させる。

4月7日午前1時25分、身代金受け渡しに関する電話がかかってくる。

「すぐに金を持って来てくれ。おばさん1人で。よその人はだめだ。お宅からまっすぐ来ると、昭和通りに突き当たったところに品川自動車というのがある。横に車が5台止まっている。3番目の小型四輪の荷台に品物(靴)が乗っている。他の者は1歩も外に出てはだめだ。車で来てもいいから、そこに金を置いてすぐ帰りなさい。家出待っていなさい。子供を渡す場所を1時間後に指定する。靴は置いたよ。警察に連絡するな。おしまいだからね」

警察のミスが重なり現金を奪われる

吉展ちゃんの実家に張り込んでいた警察はすぐに現場に向かう手はずを整える。

なんと、現金の受け渡し場所は吉展ちゃんの自宅から300メートルほどしか離れていなかった品川自動車の車の前から三台目のトラックの荷台。
自宅をすぐに出た母親は犯人に指定された場所に行くと、そこには吉展ちゃんの靴だけがおいてあった。

さらに身代金の入った封筒をその場所に置いた。

封筒の中身は新聞紙にくるんだ本物の50万円

しかし、ここでも警察はミスをする。

吉展ちゃんの家に詰めていた警察官は犯人に見つからないように大回りをして現金受け渡し場所に駆け足で向かう。
母親がトラックの荷台に置いた50万円は警察官が到着した3分の空白の時間に吉展ちゃん事件の犯人小原保によって持ち去られた後だった。

3分間の遅れは致命的だった。

後に残されたのは吉展ちゃんの靴、さらに脅迫電話の声だけだった。

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4月25日、テレビ・ラジオで脅迫電話の声が公開される

4月25日、テレビ・ラジオで脅迫電話の声が公開されると、警察の捜査本部には情報提供の電話がひっきりなしに鳴り続けていた。

その数は数千件を超える情報提供が寄せられていたのだ。
しかし、情報量の多さが逆に真相を覆い隠してしまう結果になる。

なんと、この時点で吉展ちゃん事件の犯人小原保を名指しした情報は9件もよせられていたのだ。

その中には実の弟が兄の小原保の声似にてると警察に情報提供をしていたのだ。

小原保を別件で逮捕するも白に近いとして釈放していた

警察は小原保を別件で逮捕、取り調べをしていた。

小原保、当時30歳。
時計修理工として時計店に勤務していたが、遊ぶ金に困って借金を重ねていた。そして店の時計を横領して時計店を解雇されていた。
ところが事件後、急に金回りがよくなり、20万円あった借金を全て返済。さらに店を構えるとうそぶいていたという。

警察は小原保を横領の別件で逮捕して二十日間に渡って勾留して取り調べをしたが、白として釈放されていた。

世間に間違った犯人像が拡散されてく

小原保の脅迫電話の声の推定年齢は40代から55歳。

さらに当初の8歳の少年の目撃証言の背格好とも小原保当てはまらなかった。

小原保は犯人の洗い直しで二度目の警察の取り調べを受けているがここにも引っかからなかった。
小原保は窃盗罪で前橋刑務所に二年の実刑を食らっていた。

吉展ちゃん事件は完全に壁にぶつかっていた。

昭和40年3月11日。
捜査本部は四人の専従捜査員を残して解散となってしまった。

しかし、この四人の専従捜査員の地道な努力が事件解決の糸口を見つける事となる。

専従捜査員の警視庁捜査一課、堀隆次警部補がどうしても小原保がひっかかると、捜査一課第一代理の武藤三男警視に報告。これまでの捜査の経緯を詳しく報告した。

武藤三男警視は「絶対にこいつが犯人だ」そんな印象を受けた。

武藤三男からの報告を受けた警察幹部は小原保の三度目の聴取を決定した。

そして、これまでの捜査で、小原保を白と判断した先入観を捨てるために新たな捜査員20名で徹底した捜査を決行。
平塚は福島へ出向き、「4月1日に小原を見た」というアリバイ証人の「実はそれは28日のことだった」という誤りを確認。また小原は「29日に知人宅の土蔵の鍵を壊し、シミモチを食った」と話していたが、この年は米が不作でシミモチは作らなかったことも判明していた。

小原保を重要参考人として取り調べをおこなう事を決定。

四人の取り調べ官が決定した。
その中に、あの平塚八兵衛部長刑事がいた。

取り調べはあくまでも任意。さらに10日に限る。

この条件で窃盗罪で服役していた小原保を徹底的に取り調べることにした。

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強固な黙秘でも、平塚は聞き逃さなかった

この日、小原と平塚は何気ない世間話をしていたが、とある話から小原が「福島から東京に戻った63年4月3日に日暮里で火事を見た」と言った。これを平塚は聞き逃さなかった。西日暮里の大火は4月2日に起こっていたのだった。自ら墓穴を掘った小原に平塚は一気にたたみかける。

「俺がお前の家を出て帰りかけたときだった。坂の上の方から、腰の曲がったお前のお袋が、転がるように俺を追いかけてきたんだ。おまえのおふくろはどうしたと思う?いいか、よく見てろよ。お前のおふくろはこうしたんだ」

平塚は小原の前に土下座して続けた。

「私の息子は人様を傷つけるような悪い人間ではありません。でも、もしも、何か悪いことをしているなら、真人間になって早く本当のことを言うように言ってください」

これを聞いていた小原は黙っていたが、うなじにはみるみる鳥肌がたっていった。

「お前の持っている金は、吉展ちゃんのお母さんに関係あるのか」
「・・・・関係があります。詳しいことは明日、向う(警視庁)に行ってからお話します

こうして小原は落ちた。翌日からの取り調べではこれまで自身の中に封印していた真相を一気に話し始めた。態度も別人のように一変し、「もし、今度も人間に生まれて来たら、刑事になって社会正義のために尽くしたい」と語っている。
自供により荒川区南千住にある円通寺墓地から吉展ちゃんの遺体を発見。遺体は菩提寺である回向院で弔われ、供養のために「吉展地蔵尊」が建立された。

この事件後、刑法に身代金目的誘拐罪が設けられ、電話の逆探知も認められるようになった。

次のページでは犯人の小原保の生い立ちと、吉展ちゃんの声とは・・?

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