プロ野球の阪急、オリックス、日本ハムで監督として手腕を惜しみなく発揮た上田利治監督の悲しい訃報が入った。

優勝を目前に家庭の事情で、突然の休養。さらにその原因が娘が統一教会に入信して脱会しなければならなかったという噂。
さらに、日本のプロ野球の歴史に残る、長時間の抗議で退場など数々の伝説を残した上田利治監督。

様々な伝説を残しながらも、人々の胸に深く刻まれら野球と、勝利への情熱。
さらに、選手をほめる時の「ええで!ええで!」の名文句。

プロ野球選手やファンをひきつけて止まない、昭和の名勝が逝った。
改めて、上田利治監督の話題を振り返ってみたい。

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上田利治監督の経歴とプロフィール


それは、突然の訃報だった。

昭和の名将が逝った。80歳とう年齢を感じさせない若々しい解説にその声だけは知っている方も多いはず。

普段は、まさに紳士。穏やかな人からからは、想像も出来ないほど、勝利へのむき出しの闘志は素晴らしいものがあった。

阪急(現オリックス)や日本ハムの監督を務めた上田利治さんが死去していたことが2日分かった。80歳。徳島県出身。
上田さんは捕手として徳島・海南から関西大に進み故・村山実さんとバッテリーを組んで活躍。広島に入団したが、選手としては3年で引退。その後コーチを務め、1971年に阪急に移籍。75年、監督就任2年目で阪急初の日本一に導き、リーグ4連覇を含む5度の優勝、日本シリーズ3連覇を果たし、黄金期を築いた。福本豊氏、山田久志氏、山口高志氏、佐藤義則氏らを育てた。

 一度退任した後81年に復帰し、90年に退団。95年から5年間、日本ハムの監督も務めた。

 監督通算成績は1322勝1136敗116分け、勝率・538。1322勝は歴代7位。2003年に野球殿堂入りした。
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00000157-dal-base

まずは日本の名将の上田利治監督の経歴プロフィールをまとた。

【氏名】上田 利治
【読み方】うえだ としはる
【生年月日】1937年1月18日
【没年月日】 2017年7月2日
【年齢】満80歳没
【学歴】徳島県立海南高等学校⇒関西大学
【級歴】広島カープ (1959 – 1961) 
監督・コーチ広島カープ
広島東洋カープ (1962 – 1969)
阪急ブレーブス
オリックス・ブレーブス (1971 – 1978, 1981 – 1990)
日本ハムファイターズ (1995 – 1999)
上田利治監督の突然の給与lは華族の宗教問題だった?

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弁護士になるつもりで関西大学法学部に入学した球界きっての頭脳派

上田利治監督は高校時代から捕手として活躍。
1954年夏の甲子園県予選では準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。

以前から夢であった、弁護士を志して関西の名門、関西大学二部法学部に一般入試で入学する。

しかし、高校時代の輝かしい実績を買われて野球部に入部し、元阪神のエースとして活躍した村山実とのバッテリーで大学球界を沸かせた。

関西六大学リーグでは4回優勝。1956年、2年生の時には全日本大学野球選手権大会に出場。決勝で島津四郎(熊谷組)、人見武雄らのいた日大を降し、西日本の大学としては初の優勝を飾る。翌年、翌々年の同大会では、全盛期の立大にいずれも準決勝で敗退。

関西球界では、4回も大学を優勝に導くなど活躍。リーグ通算68試合に出場し、258打数66安打、打率.256、1本塁打の記録を残した。

プロの自信はなかったが東洋工業の社員登用の確約で広島に入団

上田利治監督は阪急やTOKYOドーム時代の日ハムのイメージが強いが、プロ野球への入団は、広島カープだった。

実は、弁護士を目指していた上田利治は、プロ野球で活躍している自分が想像できなかった。
プロ野球への就職に乗り気ではなかったのだ。

そんな、上田利治を熱心にプロ野球に導いたのが広島カープだった。
「東洋工業からの出向社員として3、4年プレーし、その後は東洋工業で」との条件を出して熱心に上田利治をプロ野球に誘った。

結局、上田利治も、この条件を飲んで広島に入団する。

しかし、成績は実働三年で121試合 打率・218  本塁打2本とう成績にとどまった。

そんな上田利治がプロ野球で花開いたのは監督、コーチとしてだった。

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頭脳を活かした名将名監督として球史にその名を刻む

上田利治監督は。選手としては、輝かしい実績を残せなかったものの監督として球史になお刻むこととなる。

1975年から三年連続一位と輝かしいい歴史を残した。

上田利治監督の突然の休養は家族の宗教問題だった?

上田利治監督は、プロ野球の歴史に輝かしい実績を残しながら、突然の休養は家族のの宗教問題だったのでわと言われている。
娘さんがある世界的なカルト教団に入信したとのうわさもあり、非常に御苦労されたとされている。

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