三原董充さん73歳が1日未明、搬送先の病院で死亡した。犯人の会社員・山口伊佐男を絶対に許してはならない。なにより飲酒運転で酒を飲んでいることを認めているというのだ。

三原董充さんは、33年前に大切な娘さんを交通事故で奪われてから、二度と悲劇を繰り返してはいけないと、子供たちが登下校の間、横断歩道などに立ち、子供たちの安全を見守り続けていた。
石見神楽神和会会長を務めるなど、子供たちの安全と伝統の継承に人力した、素晴らしい人物は、飲酒運転の犯人の山口伊佐男に人生を奪われてしまった。

その献身的な姿は近所でも有名で、73歳になった今でも毎日のように子供たちの交通安全に尽力していた。

にも、かかわらず、交通事故は三原董充さんから娘さんだけでなく、人生まで奪われてしまった。
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三原董充さんの無念・・事故の概要


手本を見せながら指導する三原さん
画像引用:http://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/graph/article.html?id=20140103-OYT9I00619

三原董充さんは今から33年前に当時小学校 2 年生の次女の舞子さんを事故で失っている。

昭和 58 年、島根県西部地区を襲った
豪雨による未曾有の大水害の復旧工事のさなかで起こ
った交通事故で、下校中だった当時小学校 2 年生の次
女の舞子を失ったことにあります。工事現場に向かう途
中の大型ミキサー車に巻き込まれての即死でした。事故
現場は水害で道幅の1/3が崩れ、その復旧工事のため非
常に道幅が狭くなっていたにも係わらず、通行人の安全
対策が何も執られていませんでした。
当時PTAの役員をしていたことから、役員会や臨時総
会を開いては「非常に危険なので、なんとか安全に子供
達が通学出来る様にしてほしい」と何度もお願いしまし
た。子供達からも「大きい車がスピードを出しとるけー恐
い」という声が上がる様を見て、教育委員会や学校が何
と言おうが、子供達を守るために「3 学期からバス通学
をさせよう」と保護者会で申し合わせをした矢先の出来
事でした。何とも辛く悲しく、はがゆい思いをし、1年経
ったとは言え、まだまだ心の整理がつかず「我が娘の命
を守ることが出来なかったのに、人様の子供の面倒を
みることなど出来るのだろうか」と思い悩んでいた時で
した。

引用:http://www.jcca.or.jp/kaishi/239/239_toku5.pdf

まずは少年の尊い命を、自分の生命をかけて守り通した三原董充さん。その痛まし事故の概要を読売新聞から引用する。

娘奪った事故二度と…見守り男性がはねられ死亡

 島根県益田市の国道191号で30日、小学生の集団登校の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、小学3年の男児(9)と、付き添っていた男性(73)がはねられた。

 男児は軽傷だったが、男性は31日未明、搬送先の病院で死亡した。男性は33年前、現場近くで下校中の次女(当時7歳)を交通事故で失っており、再発防止のために集団登校の見守り活動をしていた。

 県警益田署の発表では、死亡したのは、近くの元洋装店経営・三原董充ただみつさん。30日午前7時15分頃、市立豊川小学校の児童9人が現場交差点の横断歩道を渡るのを見守っていたところ、突っ込んできた車にはねられた。

 車を運転していた同市の木材会社社員の男(62)の呼気から基準値を超えるアルコール分が検出されたため、同署は自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)と道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕した。

なんとも、やりきれないという言葉では言い尽くせない、怒りと悲しみが湧いてくる事件だ。

33年前、三原董充さんは事故で大切な愛娘を亡くしていた。

再発防止、事故防止、自分と同じような遺族を増やさないために、そして何より子供たちの尊い命を守るために、三原董充さんは見守りを続けていた。

三原董充さんが身体をはって子どもと守ったために小学生の男の子は腕などに軽い怪我だけで助かった。

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ネット上では三原董充さん追悼の声と犯人の山口伊佐男に対して怒りの声が!

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