千石イエスこと千石剛賢のイエスの方舟事件が2017年1月27日(金)放送の爆報!THE フライデーで特集される。
1980年日本を震撼させた「イエスの方舟事件」突如集団失踪した女性たちは今も共同生活を続けていた!事件から37年…初めて明かされる驚きの新事実を今夜解禁!

このイエスの方舟事件の真相と現在を特集する。
今から38年まえの1978年・昭和53年から1980年にかけてマスコミから総攻撃された宗教団体だった。

さらに、事件から37年が過ぎ、初めて明かされる驚愕の新事実も公開される。

イエスの方舟事件とは?

まずは、イエスの方舟事件とはどのような事件だったか、事件概要をまとめる。

イエスの方舟事件の事件概要

1965年ころから、ある宗教団体が少しづつ問題になっていた。

その宗教団体は千石イエスこと千石剛賢を教祖にした「イエスの方舟」だった。
イエスの方舟はもともとは聖書勉強会が母体となった集団だった。

いつしか、その勉強会は宗教団体として集団生活をするようになっていった。

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この集団生活は、教祖の千石イエスこと千石剛賢以外はすべてが女性だった。多くの女性が家で同然で実家を飛び出していたために、家族から警察に捜索願が出されるなどしたために、次第に社会問題になっていった。
1965年から77年の間、東京・多摩地区で、ある宗教団体の入信をきっかけとして家出し、家族から捜索願が出されるといった事件が相次いだのだ。

正式名称は「聖書研究会極東キリスト教会イエスの方舟」。
教祖は千石イエスこと千石剛賢であった。

そして事件が起こる。

連日のようにマスコミがイエスの方舟と千石イエスこと千石剛賢を追いかけ回すようになる。
それに伴い、宗教団体のイエスの方舟は全国を転々とするようになる。

そして1980年、ついに千石イエスが率いるイエスの方舟は、こつ然と姿を消してしまったのだ。

そしして1980年7月に熱海で集団生活しているのを発見されたのだった。

教祖の千石イエスこと千石剛賢について

ここで千石イエスと言われた教祖の千石剛賢についてカンタンにまとめておこう。

千石氏は兵庫県有田村(現・加西市)生まれ。
1923年(大正12年)に兵庫県加西市の資産家の家に生まれた。

千石の家は地元ではかなり裕福な資産家の家に生まれた。戦後に鎌製造工場をつくったが、大阪に出て磁器指輪の販売を始めたと言われている。
千石は1943年(昭和18年)、20歳で海軍に入隊。その二年後に天皇陛下の玉音放送で日本は終戦を迎える。

終戦後になると、千石イエスは自営業である刃物工場の経営に乗り出す。
しかし、あえなく失敗。その後は様々な職業を転々とする。

てきやをやったり、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始める。

この頃の精神状態を、千石は常に何かに飢え、何かに怒っていたとにちの形容している。とくに20代は常に荒れており、毎日のように喧嘩に明け暮れていた。

千石は自分の短期な性格に「いつか自分はとんでもない傷害事件でも起こしてしまうのではないか?」そんな不安を常に抱えていた。
攻撃的な性格は、自分の繊細で脆い自分の内面を必死に隠していたのかもしれない。

その後、に夫人と再婚し次第にキリスト教を学ぶようになっていく。

ちなみに、千石は「生長の家」という宗教団体を経験している。生長の家と言えば今の日本の諸悪の根源と言われている悪名高き日本会議が有名だ。

1951年頃、京都市に本部を置く堺市内の「聖書研究会」に出入りするようになる。

しかし、自らのキリスト教の解釈や、その攻撃的な性格でその主宰・村岡太三郎氏と袂を分かったことで「極東キリスト教会」を設立することになる。

そしてついに千石は自らが教祖になり東京に上京するのだった。
東京に上京したからは、自らが生業としていた刃物研ぎで生計をたてながら、府中や小平市などを中心に静かに布教活動をしていた。

そして1965年には家出してきた信者とともに共同生活をするようになっていった。
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千石イエスはカルトではなかった!マスコミにオモチャにされ家族の問題を責任転嫁されたイエスの方舟

当時、日本はこれからバブル経済が盛り上がってくる時代。

どの家庭も次第に豊になり一億総中流の時代に突入しようとしていた。

父親は猛烈社員として、家庭を顧みずに仕事に没頭した。
日本の経済成長を支えてきた、その歪は日本の家庭のしわ寄せがきていたのだ。

家庭に父親不在・・・

経済的に急激に豊んになったからこそ、家庭では孤独が強まっていった。

イエスの方舟に自ら出向いた人間はみな裕福な家庭の娘さんだった

彼女達の多くは、裕福な家庭の娘さんで、
例えばNTTの役員の娘とか、かなりいいところ
の娘さんが多く、親の過保護、または、
決められら人生にうんざりしたりとかで
つまり、絶望していたわけです。

教祖の千石さんは、大阪のおっさんです、
とにかく、娘たちの話を聞くのです、「そうか、そうか」
と、そしてそれぞれ、家庭、夫婦、兄弟など
も含め複雑な、本人しかわからない問題を
持ったみなさんが集まったのです。

イエスの方舟の不況活動は包丁研ぎをしながら、近所の住人と親しくなっていき、次第に千石イエスの元につどっていくようになる。

彼女たちは、自分たちの未来に絶望していたのだ。

しかし、当の親たちと言えば、そんな事は全く考えもしなかった。
自分の娘達がカルト教壇に拉致された。
私達は被害者だというスタンスだった。

そこに、面白いネタだと食いついたのがマスコミだった。
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